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合同会社クロスタートは北見市にある会社です。

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〒090-0834 北海道北見市とん田西町218番地30

お知らせnews

ぽぱいのおはなし

ぽぱいは主人のストーカーでした・・・

1.出かける準備をすると、
 洗面所とクローゼットがある部屋を行き来します。
 (そのときは少し遠くから監視)
 ぽぱいには、なかなかプライベートと仕事と区別がつかないのか?
 一緒に行けると思い、玄関近くのドアの近くでお座りします。

2.トイレに行ったとき、
 自分も一緒に入れてほしいのか、ついて行きます。
 気づいてもらえないときは、ドアを見つめていますが鳴くことはしません。

3.お風呂のとき、
 洗面所のドアを開けっぱなしでいるので、お風呂の様子の音が聞こえるのでしょう。
 お風呂にいることを確認すると、また、遠くからふせをして監視。

4.ごはんのとき、
 必ず、そばにいてごはんを一緒に食べますが、
 テーブルにのったおかずをいち早く見たくて主人に抱っこをせがみます。
 主人のすねを掘るかのようにガリガリします。
 ポパイ自身が食べたいものをせがみます。

別れのおはなし

我が家に来たわんちゃんたちのお別れのおはなし

けーすけも、はなちゃんも、ひなちゃんも、まめも・・・
私たちにとっては、仲間のような存在でした。一緒に同じ食べ物を食べ旅行に行きいろいろな景色を見てみんなで走ったり仕事の時も連れて行って過ごしたりしました。

一番先になくなったのが、けーすけ。

2番目がひなちゃん。2匹は朝起きて声をかけると亡くなっていて、その風景を見ていたのがはなでした。
はなは、けーすけが亡くなった日からけーすけのいた場所には近づかなくなりました。
ひなが亡くなっていてもひなの体の上にあごをおいて同じようにそばにいた姿が今でも忘れられません。

3番目がはなちゃん。はなちゃんの闘病生活の始まりでした。
はなはいつものお世話の時間の時に後ろ足が急に動かなくなってきたなと思い、マッサージしたり一緒に歩いたりして徐々に前足も動かなくなり、最後は全く動けなくなりました。
鳴くことしかできなくなったはなは、イライラして用事があるごとに鳴いていました。
ご飯も自力で食べることもできなくなり、もうそろそろなのか?出来ることはもうないのか?夜泣きもするようになり、深夜でもかまわず起こす日々が続きました。
ネットで見つけた夜泣きしなくなる薬を取り寄せ、夜ご飯に混ぜ食べさせました。
少しづつ鳴くことが収まってきました。
手足の問題に関しては、毎日3回のマッサージの際に好きだった食べ物をちょっとづつ遠くに置きながら食べさせる訓練をすると少しづつゆっくりでも歩くことが出来ました。
この頃から、朝は9:30に鳴いて「こい!」といわんばかりの鳴き声でなき、夜は5:00ぐらいに同じく鳴いて時間を教えてくれる日々が約10ヶ月。
約1年間の闘病生活でした。

4番目が、まめ・・・
引っ越しが決まって、準備に追われている頃から体調が悪かったんだろうなと振り返って気づかされています。いつも寝るときは一緒にベットで寝ていました。
排泄したくなったら下ろしてくれといわんばかりに「フンフン」鳴いて教えてくれて、ベットに上がりたいときも「フンフン」知らしてくれていました。
一晩に「フンフン」が、5往復(下ろして、上げての繰り返し)するとこっちは朝から超眠かったことを思い出します。
ベットで寝ていてもそばで寝ることがなかったのに亡くなった時は、私たちの間に初めて真ん中で寝ていました。明日引っ越しだねっていう夜中のことでした。
ふと、目を覚まし目の前にいたまめが・・・
目をあいたままこっちを見ているので私も見つめているとやはり目をあいたままで、、、
主人に知らせました。
ぽぱいに悟られないようにしなくちゃいけないと言われ、まめの手を握るとまだ温かく死後硬直もしておらず・・・
まるで自分が死んだことを教えてくれるように私をおこしてくれたのかな?と。
冷たくなるまでずっと手を握っていました。
生きている頃から、まめの歌を勝手に作って主人の前でよく歌っていたのを今となっては思い出します。
「まめはともだち、ずっとずっとともだち〜」オールリピートで歌っていました。
歌詞の通りにずっと友達だと思っています。
私が怖がったり、悲しくなったときには必ずそばに寄り添ってくれるほんとにやさしい子でした。


人間と人間だけが言葉を話すことが出来ますが、私は動物たちにも言葉で話すことが出来ると思います。
いいこと、悪いことを教えてあげると出来る動物と出来ない動物と両者いますがある程度のことは認識していると思います。

私にとっては、大切な大切な家族でした。

ポパイの旅立ち

2017年12月にその日は来ました。
頭や心ではわかっていたつもりでした。
亡くなる2日前までいつも通り・・・時間に厳しいわんこ

am6:30   起床
am6:50   くすりご飯(自分のご飯の場所でお座りして待つ)
am7:00   食後布団で療養
am8:30   主人が動くとポパイもソワソワと動いて監視体制
      (どこかに出かけるか?のチェック)
       自分がいけないとわかるとふて寝・・・
am11:30  くすりご飯(私たちの昼の用意を気にしながら待つ)
pm12:00  食後に療養
pm16:30  くすりご飯(気づくまでアプローチ)
pm18:00  夜ご飯の時間を知らせてくれる
pm19:30  就寝

*ポパイの面白いところ*
〜 水飲み編 〜
なぜか、水を一人で飲むことができない子だったのでいつもどちらかが付き添っていました。
水を飲みたいときのアプローチが3パターンありました。
その1 : 人を見つめて振り向かせる
その2 : それでも気づかれない場合は低音で「ウゥッ。ウゥッ。」
その3 : 「ウゥーバウ」と鳴く

〜 お風呂編 〜
お風呂が好きなのか嫌いなのかというと多分嫌いだったんだろうな・・・と思います。
小さいときから風呂上がりにドライヤーで乾かしますが、乾かし方が手ぬるいのか少しでもぬれている場所があると果てしなく走り回るところです。走りながら、子犬が鳴くように「アンアン」鳴きながら走ります。まめが生きていた頃は、まめを追いかけ回して鳴きながら走っている姿を思い出します。

〜 お薬編 〜
体調のものすごく悪いときは、お薬の準備(錠剤をつぶして缶詰をコネコネする)しているだけで見向きもしないのですが、体調がいいときは食べる時間が近づいたり・・・お薬の準備のときからお座りしてベロをだして待っています。
pm16:30頃は「薬の時間来たよ〜」といわんばかりに私によってきます。

〜 お食事編 〜
体調がいいときは、キッチンでご飯を作っていると匂いにつられてキッチンに来てウロウロして、刻んだ野菜などが落ちていたりするとペロッと食べるのですが、口に合わないとブルブルしながら吐き出したりして・・・
フライパンで炒める音が好きらしく、音が聞こえるとキッチンに来て上を眺めます。


亡くなる2日前の午前中から呼吸が早いことに気づきました。
様子を見ているといつもとは違ったのが
主人が出かける前の監視体制がなかったこと・・・
便が粘膜で時間をかけてすること・・・
ずっと横になって目を開けていたり、つむったり・・・
普段のルーティーンでなくなったこと・・・
おしっこが少なくなって色が濃くなったこと・・・
深夜に呼吸不全だったんだろうな〜。苦しそうにしていたのでずーっと起きてました。

亡くなる1日前には、
呼吸が1分に100手前までありました。もう肩で息をしているのがわかるほど・・・
それでも一生懸命に生きようとしているように見えました
この頃には、ちゃんと食べてくれていた「おくすりごはん」すら食べてくれず、無理矢理でした
詰め込むときにはつらかった。
ふらふらしながらでも排泄に行くんですが、やはり便は粘膜便でした。
おしっこは24時間出ておらず、その日の午後に病院に行き、私だけが先生に状況を説明しました。
すると先生が、
「院内に入って診察台に上がって興奮するといけないから。帰ってからすぐ利尿剤の薬を缶詰と一緒に飲ませてください。」
といわれ、診察することもできない状況だったんだと・・・今はそう思います。
pm16:30頃やさしい笑顔で私たちを見てくれていたのを思い出します。
今思えば、たべたご飯がくすりご飯が最後でした。

亡くなる日には
その日の深夜初めておしっこをする場所を間違えましたが、大量に出て排泄もフラフラしながら粘膜便をしていました。ホッとした気分でした。
その数時間後、主人と2人で見守っているとチアノーゼがひどくなりベロが紫色になったり呼吸が荒々しくなったり・・少し落ち着いたように思えたのでトイレに行っていたら主人に呼ばれポパイのそばにいくと、主人に抱かれながらとても苦しそうに今まで見たことのないほんとに苦しそうで・・・
「バウッ・・・バウッ・・・」っと鳴くような仕草で・・・二人で必死に呼びかけをしたら心臓が止まったように見えたのにまた呼吸して。最後はバウッと鳴いたように見えました。
明け方のことでした。

もっともっとしてあげられたことがあったのにと、日々後悔しか今はありません。

病気が判明したその日から、ずっと記録していた一日の出来事日記をもう書くことがなくなりましたが、ポパイの闘病記録をいつかまとめたいなと思っています。

唯一の中型犬

 名前は、けーすけ♂
 犬種は、コーギー
 性格は、温厚・天然なところ
 この子は、我が家に来てからほんとにおもしろい子
 でした。幼いころはぬいぐるみのような姿で、好奇
 心は旺盛でいつもはなちゃんと遊んでました。
 遊んでいて興奮すると「ワンワン」ではなく、
 「キャンキャン」というような鳴き声でした。
 散歩で、風が強いと風に向かって進むので大変でし
 た。


まめとポパイの先輩犬

ミニチュアダックスの「はな♂」と「ひな♀」ともう一匹いました。もう一匹は後ほどお話しします。
この二匹は最初「はなCHAN」がもう一匹のわんこと一緒に我が家に来ました。
はなちゃんは、札幌のSHOPから我が家に来ました。驚いたことにブリーダーさんは北見でした。
またまた、驚いたのがひなちゃんです。同じSHOPで検討したところ北見のブリーダーで父方が一緒でした。(全写真、左側がはなちゃん・右側がひなちゃん)
 

ポパイの相棒

ポパイには兄弟(我が家)が、4匹いました。
まずは、同じヨークシャーテリアの犬種。
名前は、まめ(オス)
昨年、引越しの日の深夜に旅立ちました。突然死でした。
 

←左 亡くなる5日前
←中 亡くなる半年前
↑上 亡くなる5年前

おでかけ

ポパイの出身地が留萌だったので、ふと海を見せてあげよう!
ということで天気が良く気温が上がる日を見つけて・・・
いざ出発。大丈夫かと砂の上におろしてあげるとポパイは大はしゃぎになり走り回るので心臓が止まるんじゃないかと不安になりました。長い時間は負担がかかるので20分くらい遊ばせました。(少し遊び、抱っこを繰り返しながら)

僧帽弁閉鎖不全症(右心房)

この病気にかかると、死ぬまで薬を飲み続けなければいけない・・・
と先生に言われました。
飲みはじめのころは、薬を缶詰めに混ぜて食べさすことが戦いのようでした。
逃げるポパイ・・
追いかける飼い主・・・
それでも飲んでくれないときは口の中に押し込んでまで飲ませることが心苦しくつらいことばかりで押さえつけることがいいことなのか?元気な時まで飲ませるべきなのか?
病院に行った日から、おしっこ・うんち・水・ごはんなどの項目と時間を記録することにしました。
何かあった時のためにデータとして残しておこう!そう思いました。

ある日・・突然

2017年7月14日のpm7:00ごろから様子がおかしくなりました。
老犬ポパイが、ひとりで遊んでいると犬用ソファの上に座り震え始めました。
寒さがあるのかと室内の温度を上げたりさすったり、様子を見守りました。
1時間、2時間たっても元気が戻ることなく、横になっても目をつむらずに目はうつろになっていきました。
朝をむかえても、水も飲まずおしっこをすることもなく心配は増すばかりです。
いざ、病院で診察してもらうと心臓の病気で僧帽弁閉鎖不全症(右心房)にかかり、肺水腫にもなっていることがわかりました。(レントゲン・血液検査・背中におしっこを体外に出すための注射)驚くことが命取りになるとのことでした。
病院からは、心肥大の薬2種類とおしっこをたくさん出やすくなる薬を出していただきまずは一安心しました。  

 

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